一般的に、諦める(あきらめる)という言葉は、ネガティブな意味で使われます。
小学生の娘の国語辞典が近くにあったので、「諦める」という言葉を引いてみると、このように書かれていました。
あきらめる【諦める】
もうだめだと思ってやめる。思い切ってやめる。
私たちが初めて教わる「諦める」の意味が「もうだめだ」なので、一般的には「諦める=もうだめだ」として使われるのだと思います。
この「諦める」という言葉が何となく気になり、手元にあった仏教辞典を引いてみました。「諦める」はありませんでしたが、「諦観(たいかん)」という言葉があり、このように書かれていました(一部要約・意訳)。
<諦>はあきらかにすること、<観>は注意して見ること。それゆえ<諦観>はあきらかに視ること。細かく観察し、深く考えること。
冒頭と比較すると、国語辞典は「結果」を、仏教辞典は「過程」を、それぞれ重視しているように見えます。
このように考えると、「もうだめだ」と思った時にそのままやめてしまうのは、必ずしも正解と言えないかもしれません。
一度立ち止まり、細かく観察(または分析)し・深く考えて見ると、別の選択肢があるかもしれないからです。
「一旦休み」や「やっぱり続ける・やめる」、はたまた全く別のアイディアが浮かぶかもしれません。
「もうだめだ」と思ったその時こそ、落ち着いて、あきらかに視ることが大事です。「もうだめだ」と既に思っているのだから、失敗しても上手く行かなくても良いのです。